建築デザイン学科トピックス

公開講座「龍伯公(島津義久)と国分のまち」を開催しました(建築デザイン学科)

2019-08-08

公開講座「龍伯公(島津義久)と国分のまち」を開催しました

建築デザイン学科

 平成31年6月22日、建築デザイン学科の河原洋子先生による公開講座「龍伯公(島津義久)と国分のまち」が開催されました。第一工業大学ソラトピア棟図書館に30人以上がお集まりいただき、熱心な質疑応答も行われました。

 島津家16代当主島津義久(1533-1611)が剃髪し龍伯と号し、豊臣秀吉に降伏したのは天正15年(1587年)、50代中頃でした。そして義久は70歳の頃に国分に移り、義久が住んだ国分の屋形(現在の国分小学校の敷地)は終の棲家になりました。
 国分では高齢の義久にとって過ごしやすい場所に、ふさわしい街が建設されました。義久の屋形の南側の道路の東と西には、明治初めに壊された金剛寺と龍昌寺がありました。この道は義久の信仰を表す軸線であり、国分のまちをつくる基軸であった考えられます。

 講演では、義久が国分に移った前後に分け、義久が詠んだ和歌(島津義久いろは歌)や古絵図を含むいくつもの史料を用い、国分が移転地に選ばれた理由やまちの特徴などが論じられました。

 現在でも国分の街には近世の道の位置、水の流れ、生垣、武家住宅などが良く残っています。特徴として高齢者にやさしい都市構造、信仰の軸などを実感していただき、もっと多くの方が島津義久を身近に感じていただきたいと話されました。
 

 講演の内容は以下にまとめられています。
 河原洋子:島津義久による国分の都市建設-ライフステージと信仰に着目した考察-、第一工業大学研究報告、第31号、pp.31-41、2019
 

 お知らせ:来年2月29日(予定)には公開研究会「薩摩の麓の地元研究」が開催されます(重点テーマ:都(京都)の影響を探す)。発表者募集中です。ご発表や案内を希望される方は以下までメールして下さい。
次回もお楽しみに。

公開研究会事務局: sscr@daiichi-koudai.ac.jp(第一工業大学さつま文化資源研究会)
 


講演の様子
島津義久の信仰の軸線

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